学校のようす(ブログ)

本日の給食(懐かしの昭和の給食 特別記事その1)

公開日
2021/02/19
更新日
2021/02/19

学校全体

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○ きなこ揚げパン 牛乳 カレーシチュー マカロニサラダ バナナ

 私が小学生だった頃(昭和40年代)」の給食は、毎日パンでした。今は、週に3日がご飯で、週に2日がパンの日ですね。私が小学生だった頃は、月に2日だけが、ご飯の日でした。そのご飯のお米は、各自、家から持ってくるのです。ベルマークを集める日のように、お米を集める日という日があって、その日は、お米係(実はパン係)の人が、給食場からたらいみたいな入れ物を教室に運んで、登校した子どもから、ナイロン袋に入れたお米を移していくのです。係の子は、それを名簿でチェックし、忘れた子がいたら、帰りの会の時に「真鍋君は、今日、お米を忘れたので明日は忘れないように持ってきてください。」と、今では考えられないようなお知らせがあったのです。
 月に2回のご飯の日には、カレーライスやチキンライスが出て、それは楽しみでした。

 さて、話はパンに戻ります。毎日給食に出るパンが、もちもち感が無く、固くてパサパサしているのです。牛乳で口を湿らせながらといきたいところですが、当時は牛乳では無くミルク(脱脂粉乳)でした。これが、おいしくないのです。特に冷めると。ですから、普通は、このミルクをまず一気飲みしてから、ゆっくりと給食を食べるというパターンなのです。パンはどうするのか、ということですが、苦境には知恵が働きます。スープや汁物にひたして、柔らかくしてから食べるのです。今でも、中高年の方は、パンを何かにひたして食べる人が多いと言われますが、きっと給食が影響しているのではないかと思います。では、汁物がなければどうなのか、だいじょうぶです。お茶がありました。各自が水筒を持参するのではなく、当時は、やかんに入ったお茶を、ミルクの容器で飲んでいました。食器を洗いに行くことは許されませんでしたので、ミルクの器に少しだけお茶をいれてゆすぎ、それを鼻をつまんで一気に飲み干すと、お茶がおいしく飲めるのです。お茶を飲みながら、あの固いパンを食べきるのです。
 給食は、当時残すことは絶対に許されない時代でした。5時間目、6時間目になっても食べさせられました。ですから、給食は楽しみでもあり、ある意味戦いでもあったのです。

 そんな時代です。揚げパンがどれだけおいしかったか。揚げパンは、月に一度出るか出ないかです。どれだけ楽しみに待ったことか。当時の揚げパンは、今のようにきなこたっぷりというのではなく、1枚目の写真のように、少しだけ砂糖をまぶした感じでした。
「もし、1週間に2回、揚げパンが出たら、残って毎日、漢字を千字書いてもいい。」と、本気で思っていました。夢の夢だったのです。

 きなこたっぷりの今の揚げパン(写真2枚目)が当時出たら、多分、みんな涙を流して喜んだと思います。

 「月曜日は、きなこ揚げパン、金曜日は、ココア揚げパンの週を1回でいいからつくってください。」と私が栄養教諭さんにお願いしたところ、「無理です!」とバッサリと断られてしまいました。栄養教諭の立場からすると当然なのですが、なぜ私がこんな無茶な要求をするのかということが、読者の皆様には少し伝わったと思います。
 夢をあきらめるなと、子どもたちに言っていますので、子どもの頃の夢をあきらめずに言ってみました。つい、力が入ってしまいました。大人げなく申し訳ありません。もしかしたらかなうかもしれません。


 来週も、懐かしの昭和の給食 特別記事を書こう(来週、水、木、金曜日)と考えています。3枚目の写真は、「きなこ揚げパンと真鍋校長」と、タイトルをつけておきます。(真鍋)