6年生の保護者の皆様へ(修学旅行の行き先変更について)○ 行き先につきましては、このところの暖かさで、大山のスキー場の雪が不足し、活動を予定していたコースが2月末で閉鎖されるため、児童の活動の充実と安全を第一に考え、県内旅行に変更します。 ○ 金比羅さん、NEWレオマワールド、四国水族館を巡るルートで、学校出発は午前7時頃、学校着は午後7時頃を予定しています。 度々の延期・変更で大変ご迷惑、ご心配をおかけしました。卒業前の素晴らしい思い出となりますよう尽力いたしますので、何卒、ご理解・ご協力をお願いいたします。 なお、このことに関しては、本日、6年生の児童に、お知らせの手紙を渡しておりますので、詳しくはそちらをご覧ください。(真鍋) 本日の給食を50年前風にしたら昔は、ほとんどの日がパンで、そのほとんどがマーガリンでした。 だから、給食の係には「マーガリン係」というのがありました。たまに出るジャムがとてもおいしかったのを覚えています。ジャムを配っても「マーガリン係」でした。 私は、一番人気の無い「ミルク係」を担任の先生からよく命じられました。けっこう強引にミルクを配り切るからでしょうか。お代わりは期待できませんからね。「これ以上入れんといて〜。」と手で食器をおおう友達に「手をどけんかったら、手の上から入れるぞー。」なんて言いながら配っていましたからね。昔のお友達、ごめんなさい。(真鍋) 本日の給食(懐かしの昭和の給食 特別記事その3)○ 「ミルメーク」と言えば、昔、あのミルク(脱脂粉乳)を、何ヶ月かに一度だけおいしく飲むことができた「ありがたい物」です。今は、牛乳に混ぜると「コーヒー牛乳」や「イチゴミルク」になったりします。昔は、ミルク(脱脂粉乳)に混ぜて、コーヒー味のミルクとして、何ヶ月かに一度だけ、「ミルクのお代わりを、子どもが進んでする日」となったものです。 ○ 「すいとん汁」。これも昔の給食によく出ていました。人気メニューでした。高瀬町では「だんご汁」とか「打ち込み汁」とかと呼ばれていた気がします。日曜日に、父親が時々作ってくれたメニューでもあります。(真鍋) 授業風景5梅授業風景5竹授業風景5松なわとび関係の表彰がありました!なわとび大会が開催されました感染症対策をしっかりと行いながら、全員が自己ベストを目指して時間いっぱい頑張りました。 優勝トロフィは一体どこのクラスが手にしたのか、是非お子さんに聞いてみてください。 外国語 1年間をふりかえろう! 3年外国語では、3年生で習った英語をすごろくでふりかえりました。 使ってよいのは英語のみ! 1.2.3の英語や「I like〜」を使って好きなものを言うなど、3年生で習った言葉を思い出しながら楽しく復習をすることができました。 本日の給食今日は、5、6年生の給食には「先割れスプーン」が付いています。私が小学生の頃は、給食にお箸を持っていくことはまったくありませんでした。この先割れスプーン1本で、パンだろうが、スープだろうが、ご飯(めったに出ない)だろうが、みそ汁だろうが、どんなものでも食べることができました。今日のように、りんごが出たときは、このスプーンでりんごの皮をむくこともしました。 先割れスプーンの持つ部分の上の方に穴が開いていますね。これは、太い針金みたいなのに通して、クラスごとにスプーンを集めるための穴です。金属製のかごに入れて集めている学校もあったそうです。その場合、この穴は全く使いませんが・・・。 それともう一つ。たつた揚げと言えば、私が子どもの頃は、「クジラ肉のたつた揚げ」です。今日は、かつおでたつた揚げを作ってくださいましたが、食感(脂身が少なく固い点)は、まるでクジラ肉です。お見事です。クジラの肉は、給食にはしょっちゅう出ていました。 2枚目の写真は、今日のメニューを50年前に戻すと、こんな感じ?というもので、1階パントリーに展示しています。(真鍋) 公衆電話の廃止についてなお、来年度からは、どうしてもご家庭に連絡しなければならないことがあった場合は、担任等が対応いたします。 ※ このことについては、次回の学校便りでもお知らせする予定です。(真鍋) 授業風景4梅授業風景4竹授業風景4松なわとび大会なわとび大会本日の給食(懐かしの昭和の給食 特別記事その1)私が小学生だった頃(昭和40年代)」の給食は、毎日パンでした。今は、週に3日がご飯で、週に2日がパンの日ですね。私が小学生だった頃は、月に2日だけが、ご飯の日でした。そのご飯のお米は、各自、家から持ってくるのです。ベルマークを集める日のように、お米を集める日という日があって、その日は、お米係(実はパン係)の人が、給食場からたらいみたいな入れ物を教室に運んで、登校した子どもから、ナイロン袋に入れたお米を移していくのです。係の子は、それを名簿でチェックし、忘れた子がいたら、帰りの会の時に「真鍋君は、今日、お米を忘れたので明日は忘れないように持ってきてください。」と、今では考えられないようなお知らせがあったのです。 月に2回のご飯の日には、カレーライスやチキンライスが出て、それは楽しみでした。 さて、話はパンに戻ります。毎日給食に出るパンが、もちもち感が無く、固くてパサパサしているのです。牛乳で口を湿らせながらといきたいところですが、当時は牛乳では無くミルク(脱脂粉乳)でした。これが、おいしくないのです。特に冷めると。ですから、普通は、このミルクをまず一気飲みしてから、ゆっくりと給食を食べるというパターンなのです。パンはどうするのか、ということですが、苦境には知恵が働きます。スープや汁物にひたして、柔らかくしてから食べるのです。今でも、中高年の方は、パンを何かにひたして食べる人が多いと言われますが、きっと給食が影響しているのではないかと思います。では、汁物がなければどうなのか、だいじょうぶです。お茶がありました。各自が水筒を持参するのではなく、当時は、やかんに入ったお茶を、ミルクの容器で飲んでいました。食器を洗いに行くことは許されませんでしたので、ミルクの器に少しだけお茶をいれてゆすぎ、それを鼻をつまんで一気に飲み干すと、お茶がおいしく飲めるのです。お茶を飲みながら、あの固いパンを食べきるのです。 給食は、当時残すことは絶対に許されない時代でした。5時間目、6時間目になっても食べさせられました。ですから、給食は楽しみでもあり、ある意味戦いでもあったのです。 そんな時代です。揚げパンがどれだけおいしかったか。揚げパンは、月に一度出るか出ないかです。どれだけ楽しみに待ったことか。当時の揚げパンは、今のようにきなこたっぷりというのではなく、1枚目の写真のように、少しだけ砂糖をまぶした感じでした。 「もし、1週間に2回、揚げパンが出たら、残って毎日、漢字を千字書いてもいい。」と、本気で思っていました。夢の夢だったのです。 きなこたっぷりの今の揚げパン(写真2枚目)が当時出たら、多分、みんな涙を流して喜んだと思います。 「月曜日は、きなこ揚げパン、金曜日は、ココア揚げパンの週を1回でいいからつくってください。」と私が栄養教諭さんにお願いしたところ、「無理です!」とバッサリと断られてしまいました。栄養教諭の立場からすると当然なのですが、なぜ私がこんな無茶な要求をするのかということが、読者の皆様には少し伝わったと思います。 夢をあきらめるなと、子どもたちに言っていますので、子どもの頃の夢をあきらめずに言ってみました。つい、力が入ってしまいました。大人げなく申し訳ありません。もしかしたらかなうかもしれません。 来週も、懐かしの昭和の給食 特別記事を書こう(来週、水、木、金曜日)と考えています。3枚目の写真は、「きなこ揚げパンと真鍋校長」と、タイトルをつけておきます。(真鍋) 授業風景3梅授業風景3竹授業風景3松 |
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