階段踊り場の掲示作品(3年)2階段踊り場の掲示作品(3年)1なわとび大会をしました
2月22日木曜日、なわとび大会を行いました。どの子も自分の力を存分に発揮し、一生懸命、跳んでいました。その姿を見ていた友達は、大きな声で声援を送り、励ましていました。これまでの練習の成果を発揮できた子もいれば、惜しくも途中でつまってしまい、悔しい思いをした子もいました。来年のなわとび大会では、また新たな目標に向かって頑張ってもたいたいものです。ご家庭での励ましのお言葉やご協力、ありがとうございました。
写真は、大勢がエントリーしたあや跳びと、難しい技「はやぶさ」の挑戦者、そして、個人競技後のグループ対抗二重跳びリレーの様子です。 本日の給食〇ハムとコーンのおかずパン サラダと言えば「食べる前にドレッシング等で味付けをする」というイメージですが、コールスローサラダと言えば「味つけがされている」というイメージです。給食では、和え物が多いので、昔から「コールスローサラダ」は、よく登場していました。イメージとしてはキャベツ、ニンジン、コーンといったところでしょうか。今日、改めて『何が入っているのだろう?』と食べながら細かく観察してみました。今日、給食を食べた皆さん、メニューの写真を見て、何が入っていたのかを思い出してください。 今日は、ハヤシライスとおかずパンといった「お米」と「パン(蒸しパン)」の組み合わせですが、昔は、スパゲッティーとパン、うどんとパン、焼きそばとパンといった「麺類」と「パン」の組み合わせでした。米飯の日が月に1〜2回なので当然です。昭和50年を過ぎた頃になって、給食に米飯が取り入れられるようになり、ご飯給食がだんだんと増えてきました。私は、その頃、小学校の高学年でしたので、中学生くらいから、給食の内容も変わってきたなあという印象がありました。中学生になったから…と勝手に思っていましたが、実は、世の中が変わっていたのですね。 ところで、私と年齢があまり変わらない方々に聞いても、「脱脂粉乳は飲んだことない。」「毎日出ていた。ミルクの『まく』が嫌だったなあ。ミルメイクが出た時はうれしかった。」とか、「食器は3種類だった。」、「いや2種類しかなかった。」とか、いろいろです。時代だけではなく、都道府県や市や町によっても、かなり違うことが分かりました。給食は、その町の食文化の一つだと言っても過言ではないと思いました。 授業風景(4松)ドリルなどは、既にタブレットで取り組んでいますが、今回は、「学力テスト」の場合のモニターテストです。今後、数年先には、このような風景が普通に見ることになるのでしょうか?4年生にとっては、文章で答える問題は、手書きの方が楽という子どもたちも多いみたいです。 4松さんの「授業風景」も、今回が今年度の最終です。もうすぐ5年生ですね。 5年生の縄跳び大会頑張る姿、とっても素敵でした。 4年梅組教室の掲示作品24年梅組教室の掲示作品1なお、階段の踊り場に掲示している作品については、先日、既にアップしておりますのでご確認ください。 2年生 なわとび大会参加や応援の態度にも、「もうすぐ3年生」になる2年生の2月らしさがありました。 本日の給食〇ほうれん草のおひたし 〇すいとん汁 昔の給食では「クジラ肉の竜田揚げ」が当時の子どもたちの大人気メニューでした。今は、クジラ肉はめったに食べることができませんので、「鯖」で昔の給食メニュー「竜田揚げ」を再現してくださっているのです。涙ぐましいくらいの栄養教諭と調理員の努力と熱意によって、このメニューが詫間小学校の給食に出てきているわけです。 さて、「すいとん」ですが、私が大学生の時に住んでいた山梨県には「ほうとう」という「すいとん」によく似た有名な郷土料理があります。よく似ているのですが、違いがあります。「すいとん」の方は、練った小麦粉を入れる、味噌味だけとは限らないので、今日のようにすまし汁系の場合も多いというのに対して、「ほうとう」の方は、麺を入れる、味噌味に限るという違いがあります。私は、どちらも好きですが、私の家では「だんご汁」と呼んでいた「すいとん」の方が好きかもしれません。麺の方は、さぬきうどんがある香川ですので…。山梨で住んでいた頃に、ほうとうを食べまくったかと言うと、実は1回しか食べたことがありません。結構、高価なのです。安くても1人前1,000円くらい、高ければ2,000円以上はします。ほうとう専門店では、具材も豪華ですが、一つずつ鍋で作るので高くなるのでしょうね。香川風に言えば、「味噌味のしっぽくうどん」、「具だくさんのみそ汁にうどんを入れたもの」といったところです。 授業風景(3梅)テストが始まると、シーンとして、一生懸命、問題に取り組んでいました。3年梅組さんの「授業風景」も今回が今年度の最終回です。次に取材に来る時は、上学年の仲間入り、4年生になっていますね。 読み聞かせ(上学年)がありましたコロナ禍で、しばらくできていなかった「読み聞かせ会」が今年度は再開できました。ボランティアの皆様。1年間、本当にありがとうございました。来年度も、よろしくお願いいたします。 読み聞かせボランティアの方に来ていただきました4年松組は「地獄のそうべえ」4年竹組は「なぞなぞ」4年梅組は「かちかち山」です。みんな真剣に聞いています。朝の時間に読み聞かせをしていただいたおかげで、憂鬱な雨の日も気持ちよくスタートできそうです。読み聞かせボランティアのみなさん、ありがとうございました。 読み聞かせがありました4竹教室の掲示作品24竹教室の掲示作品1なお、階段の踊り場に掲示している作品については、先日、既にアップしておりますのでご確認ください。 学校メインテナンス64なお、写真にはありませんが、この対面にある教員用の連絡黒板(ホワイトボード)のラインも引き直しています。 本日の給食〇大根のみそ汁 〇バナナ 昨日のブログで、「昭和の時代は、ほとんどがパンの日でご飯の日はめったに無かった。係の名前も、ご飯係ではなくパン係だった。」と書きました。以前のこのブログでも紹介しましたが、昔は、月に1回、家からお米を1合、ナイロン袋に入れて学校に持っていったのでした。そのお米で月に数回、ご飯の日があったのです。ほとんどがパンの日なのに、なぜか「みそ汁」は頻繁に登場していました。パンにみそ汁です。今考えると不思議ですが、当時は何とも思いませんでした。 さて、特筆するのはバナナです。バナナは昭和30〜40年代は超高級品でした。バナナキロあたりの値段は、昭和41年(地方公務員の平均月収6〜7万円の時代)と令和4年(2年前)がほぼ同じなのですよ。今の感覚で言えばバナナ1本1,000〜2,000円といったところでしょうか?ですから、私が幼稚園に入る前にバナナを食べたことは無かったと思います。ところが、世の中の物価はどんどん上昇していくのに、昭和30年代後半にバナナの輸入自由化になってから、バナナの値段はどんどん、どんどんと下がり続けました。ということで、私が小学生だった昭和50年頃には、バナナは、すっかり庶民的な果物となっていたのです。それで、給食にもよく出てきました。本当によく出てきました。おしゃれな食べ方(バナナの皮を上半分だけむいて、先割れスプーンで小さな円柱に切って食べる)も、私の教室では流行しました。そして、バナナが出た日(必ず半分だった)には、「バナナを半分しか食べられないの。かわいそうね、さっちゃん→クラスの〇〇ちゃんに替えて」とみんなで歌って、先生に「静かにしなさい!」と、叱られたものです。 昔は、ご飯の給食がほとんど無かったので「さつま」のような手間のかかる郷土料理のご飯は出たことがありませんでした。懐かしさと、今の幸せを両方感じています。 6年生を送る会の準備をしていますなわとび大会をしました |
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