学校メインテナンス64なお、写真にはありませんが、この対面にある教員用の連絡黒板(ホワイトボード)のラインも引き直しています。 本日の給食〇大根のみそ汁 〇バナナ 昨日のブログで、「昭和の時代は、ほとんどがパンの日でご飯の日はめったに無かった。係の名前も、ご飯係ではなくパン係だった。」と書きました。以前のこのブログでも紹介しましたが、昔は、月に1回、家からお米を1合、ナイロン袋に入れて学校に持っていったのでした。そのお米で月に数回、ご飯の日があったのです。ほとんどがパンの日なのに、なぜか「みそ汁」は頻繁に登場していました。パンにみそ汁です。今考えると不思議ですが、当時は何とも思いませんでした。 さて、特筆するのはバナナです。バナナは昭和30〜40年代は超高級品でした。バナナキロあたりの値段は、昭和41年(地方公務員の平均月収6〜7万円の時代)と令和4年(2年前)がほぼ同じなのですよ。今の感覚で言えばバナナ1本1,000〜2,000円といったところでしょうか?ですから、私が幼稚園に入る前にバナナを食べたことは無かったと思います。ところが、世の中の物価はどんどん上昇していくのに、昭和30年代後半にバナナの輸入自由化になってから、バナナの値段はどんどん、どんどんと下がり続けました。ということで、私が小学生だった昭和50年頃には、バナナは、すっかり庶民的な果物となっていたのです。それで、給食にもよく出てきました。本当によく出てきました。おしゃれな食べ方(バナナの皮を上半分だけむいて、先割れスプーンで小さな円柱に切って食べる)も、私の教室では流行しました。そして、バナナが出た日(必ず半分だった)には、「バナナを半分しか食べられないの。かわいそうね、さっちゃん→クラスの〇〇ちゃんに替えて」とみんなで歌って、先生に「静かにしなさい!」と、叱られたものです。 昔は、ご飯の給食がほとんど無かったので「さつま」のような手間のかかる郷土料理のご飯は出たことがありませんでした。懐かしさと、今の幸せを両方感じています。 6年生を送る会の準備をしていますなわとび大会をしました授業風景(3竹)4月に一緒に国語のお勉強をしてから約1年。立派な3年生、いや、もうすぐ4年生に成長しましたね。 4松教室掲示作品24松教室掲示作品1あいさつ運動で完成した掲示物階段の踊り場掲示作品(4年)授業風景(3松)3年松組さんの「授業風景」も今回が今年度最終です。次に紹介する時は、上学年の4年生になっていますね。 はじめての縄跳び大会(1年生)種目は、前跳び1分間、後ろ跳び30秒、綾跳び10回以上、二重跳び5回以上です。 縄跳びの授業が始まった頃は、前跳びだけが、数回跳べるという子供がほとんどでした。 しかし、今では後ろ跳びが跳べるようになった子、綾跳びを何回も跳べるようになった子、交差跳びや二重跳びにもチャレンジする子など、どの子も縄跳びの技術の腕を上げました。 みんながそれぞれ頑張った気持ちのよい縄跳び大会になりました。 よくがんばりました! 本日の給食〇マカロニサラダ 〇カレーシチュー 今日のメニューは、昭和40年代の給食メニューとほぼ同じです。昔は牛乳が「脱脂粉乳」だったのと、コッペパンに「マーガリン」が付いていたこと、スプーンが「先割れスプーン」だったことくらいが違いですかね…。当番も、昔は、ご飯係ではなくて「パン係」、今はまずない「マーガリン係」があり、牛乳係ではなく「ミルク係」、それと、毎日、先割れスプーンが付くので「スプーン係」もありました。 今週は、「詫間小なつかしの給食ウィーク」です。まあ、「なつかしの」と言われても、本校の子どもたちにとってではなくて、大人たち、それも昭和40〜50年代の人たちにとって(まさに私)の「なつかしさ」です。じゃあ子どもたちにとってはというと、おじいちゃんやおばあちゃんの時代からずっと行われてきた学校給食の歴史や変遷を知り、給食の歴史と給食を続けてきた多くの人々の努力を知り、歴史の重みや給食に関する感謝の気持ちをもって、給食をよりいっそう楽しんでもらいたいといったところでしょうか。 「カレーシチュー」、よく出ましたね。なぜって?そりゃ、ご飯の日がめったになかったからでしょう。月に1回か2回以外は、ほとんどコッペパンでしたから。「マカロニサラダ」もよく出ました。私の通っていた学校では、マカロニサラダに必ずレーズンが入っていました。私は、レーズンが苦手だったので、マカロニサラダの日は、学校に行くテンションが下がっていました。まあ、給食になるとお腹がすいているので、レーズンばかりを集めて先に噛まずに呑み込んでいましたけど。そんな「なつかしい思い出」もよみがえってきました。 タブレットを使ってテストのテスト本日は、5年生の3クラスとも国語と算数の「テストのテスト」を実施します。 奉仕清掃学校便り26号をアップしました奉仕清掃をしてくれています!本日の給食〇にんじんサラダ 〇瀬戸のチャウダー 〇りんご 何度かこの記事に書きましたが、昔の給食と言えば「先割れスプーン」です。これ1本でスプーン、フォークの両方の役割を果たすだけでなく、今日のように「りんご」とか「梨」とかがデザートに出た場合には、芯を取るための果物ナイフの役割も果たしていました。中には、そのスプーンで皮をむく器用な友達もいました。その代わり学校でお箸を使う機会はめったになく、今のように、「学校でお箸の持ち方を指導される」ということは、まず、ありませんでした。そのため、私たちの世代は、家庭でしっかりとお箸の持ち方、使い方を指導されていない場合、お箸を上手に持つことができないという子どもたちが増えたのです。大人になってからは、「お箸もろくに持てない新人類」なんて揶揄(やゆ:皮肉を言ってばかにする)されたのです。先割れスプーンは、もっと上の年代の方も使っていたのですが、家庭での「しつけ」が低下し始めたことも影響して、私たちの世代に箸の正しい持ち方・使い方ができない傾向が顕著になったのだと思います。(鉛筆の持ち方は、学校でめちゃくちゃ厳しく指導されたので、お箸だって持てないことはなかったはずですが…。) また、食事のマナーとしては、家では、食器を手に持って食べるよう教えられていましたが、アルマイト(金属製)の食器だったので、熱いお汁等を入れた場合は、(牛乳の代わりに出ていた「脱脂粉裕」だって熱かった)熱くて手に持つことができず、(運ぶときは、全員、トレーを使っていたので何とかなった。)食器は置いたままで、口を近づけて食べるという習慣が給食で定着したと思います。もし、持ったとしても、食器の上の方を指でつまんで持ち上げていました。厳しかった先生も、さすがに熱い食器を底から持ちなさいとは言わなかった(冷めて持てるようになっても言わなかった)ので、悪(?)マナーが定着したと思います。夕食の時に、母親が、「あんた、食器を持って食べなさい。学校でもそんな食べ方しとるん?」と言われ、このことを説明したことを覚えています。もちろん、食器を持たなくなったのは熱さだけではなく、3分割された大きなお皿に、いろいろな食べ物が乗っていたので持てないとか、お汁よりはスープが多かった(洋食の場合、食器は持ち上げない。)等も影響しているのでしょう。 今日、デザートのりんごを見て、給食の影響ってすごいのだなあと考えながら、今日も温かくおいしい給食を(今日は洋食なので食器はおいたまま、なんて思いながら)いただいております。 児童会役員任命・引継式2「日本一の学校」と、子どもたち自身が感じることができる学校、心地よい風が流れる学校になるよう、きっとリーダーとして活躍してくれると大いに期待しています。6年生の児童会役員の皆さん。1年間、本当にありがとうございました。と、言っても卒業までは、まだ少しあります。もう少しだけ、新しい児童会役員さんたちの背中を押す心地よい風を吹かせてくださいね。 児童会役員任命・引継式1授業風景(2竹)歌う人、木琴を演奏する人、鍵盤ハーモニカを演奏する人、タンバリンを演奏する人のパートがあります。一生懸命、自分のパートを歌ったり演奏したりしています。 |
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